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ルルドの聖母 (ルルドに於ける聖母マリアの御出現)   記念日  2月11日
 Apparitio B. V. Immaculatae in Lourdes


ルルドにおける聖母マリアの御出現
1858年2月11日ー7月16日

 ルルドはフランスの南境を横走するピレネー山脈の麓に位置する小さな町で、元は殆ど世に知られていなかったのに、1858年2月11日以後十数回に渡って聖母マリアの御出現があってから、一躍天下にその名を知られるようになったところである。その町の郊外、カルワリアという山の裾に沿って、ガヴ河という流れがあり、その中央にシャーレー島と称する島があって河水を二つに分かっているが、その再び相い合する所に一大岸壁が屹立し、中にマッサビエールと呼ぶ洞窟がある。これぞ聖母御出現の聖域なのである。
 
 それは教皇ピオ9世が聖母無原罪の御宿りを、新たに信仰箇条として天下に宣言された時(1854年12月)から三年と二ヶ月目のことであった。貧しい水車小屋に生まれたベルナデッタという13歳になる娘が、流れを渡ってマッサビエールの付近に行き、薪にする流木をしきりに拾い集めていると、突然大風でも吹くような物音が聞こえた。驚いて振り向くとちょうど洞窟の中に、神々しくも美しい一人の姫君が立っておられた。その御姿、身には雪白の衣をまとい、腰には空色の帯を締め、手には白珠金鎖のロザリオを持ち、清らかな素足の下には二つの薔薇の花を踏み、その眼は恍惚と天を仰いでおられる。ベルナデッタはそれが如何なる方であるかはまだ知らなかったものの、吸い付けられるようにその御姿に見とれている内に、胸中得も言われぬ喜びを覚え、我知らず自分もロザリオを出して共に祈りをとなえると、栄唱を終わるや否や姫君の御姿は消え失せた。やがてベルナデッタは帰宅し、その話をしたが両親も主任司祭もなかなか信じようとはしなかった。

 2月14日ベルナデッタはあの姫君の慕わしさに再びマッサビエールを訪れた。すると案の如くまた姫君の御出現に接したが、その御姿は、好奇心から彼女の後について行った他の人々には少しも見えなかった。ただ彼らはその折りのベルナデッタの脱魂状態に驚き、彼女と声を合わせてロザリオの祈りをとなえたりした。

 こういう姫君の御出現は2月11日から7月16日のカルメル山の聖母の祝日まで18回の多きに上った。或いは好奇の念から、或いは信仰の心から、ベルナデッタについてかの洞窟へ行く人々の数は次第に増えて、しばしば数百人に達する事さえあった。3月25日、聖マリアの御告げの祝日の事である。16回目に姫君の御出現を蒙ったベルナデッタが、「貴女はどなたでいらっしゃいましょうか?」とお尋ねすると、姫君は天を仰ぎつつ「私は原罪なくして宿った者です」と明らかにお答えになった。それで人々はベルナデッタに現れ給うた御方が聖母マリアにまします事を知ったのであった。




 


これより先、聖母は御出現の目的についてベルナデッタに「ここに聖堂を建て、多くの人々がこの地に集まることを望みますと司祭に告げなさい」と仰せになり、また「罪人の改心の為に祈りなさい!」ともお命じになった、更にベルナデッタ個人に対しては「私は必ずあなたを幸福にしてあげましょう、しかしそれはこの世に於いてではありません、あの世に於いてです」との有り難い御約束を賜ったという。

 2月25日、9回目の御出現には「泉を飲み、顔を洗いなさい」と命ぜられたが、ベルナデッタには泉らしいものが見えなかったので、指さされた所の土を、少し手で掘り起こして見ると果たして水が湧きだして来た。これこそ後に数多くの病者を奇跡的に治し、一日に12万2千4百リットルの水を出すようになったルルドの霊泉のはじまりである。
 その霊泉の難病治癒の効能は実に驚くべきもので、今までその霊水を飲み或いは身に浴びて、医者の見放した病人の全快した例はどれほどあるか解らぬほどであるが、1861年までの3年間だけでも既に百件からの治癒の実例があり、医師会の厳密な調査によってもその中の15件は、少なくとも人智を越えた奇蹟であると定められたのである。
 7月16日最後の御出現の後、その教区の司教は神学者、科学者、医学者等より成る調査委員会を組織し、御出現の事件に就き十分な神学的、科学的調査を行ったが、その結論は各委員とも、自然的現象としては到底説明し得ず、どうしても超自然的な現象と認めなければならないという結論に達した。
 このような奇跡が世に知れ渡るにつれ、ルルドに巡礼する人の数は日に増し多くなるようになった。フランス国内はおろか遠い外国からも、或いは個人で或いは団体で、この聖地を訪れ、かの洞窟の前に跪いて聖母の御取り次ぎを願い、霊肉に大いなる恵みを受けた人々は枚挙にいとまなく、またその霊水の奇特によって難病快復した者もかぞえられぬ程の多数に上っている。

 リオン市の一彫刻家ファビッシュはベルナデッタに現れ給うた聖マリアの御有様を詳しく聞きただし、カララの大理石でその気高い御姿を刻み、之をマッサビールの洞窟内の御出現の現場に安置し、1864年4月4日その聖別式が挙行された。今も世に名高いルルドの聖母像は即ちこれである。

 ルルドの御取り次ぎによって恵みを蒙った信者の中には、感謝の献金をした人も少なくない。そういう喜捨を以て聖母の御望みの如くその地に建てられた美麗な聖堂は、1876年7月2日パリの大司教の手で聖別された。それ以来同地への巡礼は一層盛んになって、参詣者は年に平均60万人、1933年の御出現75年記念祭には、実に150万人の多きに達したという。

 ルルドに於ける病者の全快は、そのことごとくが奇跡という訳でもあるまいが、ルルド医局調査委員の調べた所によれば、最初の55年間だけでも奇跡と認定すべきものが4445件にも及んでいる。またルルドに巡礼する病者が皆必ず治るとも限って居らぬが、いずれも大いなる慰めを得てよく病苦に耐えるようになるとは一般に認められている所である。

 今や聖会はルルドの聖母御出現を超自然の出来事と定めているが、これを記念する祝日2月11日は早くも1891年に設定され、まず南フランス一帯の教会に守られ、更に1907年には全世界の教会にも及ぼされる事となった。

教訓

 聖母マリアは聖会がその無原罪の御宿りを信仰箇条に加えた事をよみせられ、ルルドに現れて数多くの恵みを全世界に於いても、ルルドの聖母の御助けを受け、奇跡的に病の癒えた人も幾人かあるとの事であるが、それにつけても我等は一層聖母を尊び聖母を信頼するように心がけようではないか。